魔法の小箱との出会い

Music Column「愛と追憶のクラシック」第一回  加藤 十握

「KEF.JP」では、音楽愛好家の方に楽しんでいただけるコラムをご用意。高津修さんのオーディオコラムに続き、クラシック音楽との出会いの場として加藤十握さんによる新コラム「愛と追憶のクラシック」をおとどけいたします。

 私の多忙な日常から逃れる楽しみの一つは、コンサートホールでクラシック音楽にどっぷりと身を漬すこと。しかし、コンサートホールでは、数百から千人単位の人が同じ空間で息を殺して演奏家達の奏でる音楽に耳を傾けているのですから、かなり不自然な環境と言えます。おまけに、咳払い一つしても周囲の人たちにチラッと見られますし、あめ玉の一つでもと思い「小さな」音を立てて袋を開けようものなら、ものすごい勢いで制止されもしてバツ悪い思いをします。まったく肩の凝る話しです。それなのに、なぜわざわざ大枚をはたいてそんな空間に身を浸しに行くのでしょうか? 一つは言うまでもなく、素晴らしい演奏を身体全体で楽しみたいからでしょう。演奏家の一挙手一投足とは言わないまでも、流れている音楽に最大限の意識を向けていたいと思うのは私だけではないと思います。視覚的にも、聴覚的にも、あるいは五感をもって音楽を楽しめるのが、コンサートホールで音楽を聴くこととの醍醐味なわけですから。でもそれだけならば、そこまで静寂にこだわる必要も無いのでは? とも思います。
 先日、都内のバスに乗っていて気になったこと、それは、間断なく流れ続ける車内放送。バス停からバス停までのあいだ、流れ続ける懇切丁寧な車内放送。それだけではありません。私たちの生活圏には、駅の構内放送、街の量販店の売り子の呼び声……、人の声が聞こえないところはない……。とにかく、日常には静寂な環境などあり得ません。これでは、たとえヘッドフォンをして音楽に集中しようとしても難しいでしょう。ところが、コンサートホールでは、条件さえ整えば自分の音楽にのみ集中できる環境がわりと簡単に手に入るのです。では、コンサートホールでの静寂は、音楽に意識を集中させるためだけに必要な条件なのでしょうか? それだけではないと思います。コンサートホールにおいて五感で音楽を楽しむためには、その前提としての「静寂」にとても大きな意味がある気がするのです。
 宮沢賢治は、耳から聞こえてくる音から色が見えたそうですが、そうした感覚を「共感覚」と言います。そこまでではないにせよ、私には、コンサートホールがハーモニーに満たされたとき、まさに「音色」というに相応しい何かによって自分が包まれるのを感じます。何とも表現しにくいのですが、その音色は単なる音の積み重ねというものではなく、その音場に描かれた音の「色」のように感じます。例えばマーラーや、リヒャルト・シュトラウス、ラヴェルと言った20世紀初頭の作曲家達は、音色の魔術師とも言われるほど楽器の音色に敏感で、その音楽の構造はとても繊細です。その手の音楽を奏でるには、オーケストラにも一定以上の技量が求められますが、コンサートホールが目映いほどに美しく立ち現れた音色に満たされて陶然とした経験が一度ならずあります。同じような感覚は、少なくともヘッドフォンで音楽を聴いているだけでは体感しづらいものです。そもそも、擬似的に再現される録音からでは、限界があろうとも思います。そうした「空気感」、つまり音場を存分に体感するにはそこに異質な音があってはならず、自身を取り巻く静寂が大きな条件になるのです。この体験はヘッドフォンやスピーカーで音楽を楽しむのとは異質な体験と言えます。
 ところが最近、希有な出会いがありました。友人に、良い音楽が聴けるからと招待を受けたその先には、流線型の美しくも小さなスピーカーが一組あるのみ。それがLS50Wirelessとの出会いです。その日は、私のクラシック音楽コレクションの中からコンサートホールの音場を最大限に再現できると思われる優秀録音として、シャルル・デュトワが指揮するモントリオール交響楽団による演奏を数種類持参しましたが、レスピーギ「ローマの松」をかけた瞬間、信じられないような光景が目の前に広がったのです。デュトワの指揮によってモントリオールの楽団が奏でた、魔法とも言える絢爛たる音色に目の前の空気が染まったのです! なぜこんなにも小さな筐体なのに、豊かな音場を再現することができるのでしょうか? わたしは単なる市井の音楽愛好家であって、オーディオに関しては素人ですから、その理由はわかりません。素人なりに想像すると、その秘密はウーハーの中心部にトゥイーターが組み込まれているところにあるのではないでしょうか。そうすることによって、より自然な音場再現が可能になっているのではないか、と。
 ともあれ、この出会いがわたしのこれからの音楽人生を豊かにしてくれることは間違いない、今はそんな思いで期待に胸を膨らませているのです。そうなると次には、我が家にも「静寂」な空間を求めたくなるかも知れませんが、それは果たして叶うのでしょうか……。

筆者プロフィール

加藤十握(かとうとつか)

私立武蔵高等学校中学校国語科教諭、教頭。専門は江戸時代の文学であるが、クラシック音楽が大好物。自宅は本とCDの山。
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